熊本YWCA新聞2013年11月号

 2013-11-10
熊本YWCA50周年企画の全てに感謝      江﨑啓子
 熊本YWCA50周年記念企画は8月24日の「GATE」上映会に始まり、10月19日午前に50周年記念祝典、午後に記念講演会を行い、感謝のうちに一段落いたしました。
記念祝典の第一部、“記念礼拝”では、昨年神奈川に移られた常葉さんの司会で、日本YWCA石井摩耶子代表理事より「流れに抗して」と題した奨励をいただきました。礼拝に続いての来賓紹介では、初代会長故江藤ゆき姉のお嬢様東田恵子さん、熊本YMCAの堤弘雄総主事、留学生のために毎年ご支援をいただく龍峰ライオンズクラブの今田恵子会長、“ひな祭り”の度に留学生に着物の着付けをお手伝いいただく小池美代子さん、留学生が在学している熊本学園大学の職員切通しのぶさんより、それぞれの思い出話やあたたかい励ましの祝辞を頂戴しました。ライオンズからは留学生支援金贈呈にもあずかりました。感謝でいっぱいです。
続いて第二部の“コンサート”では、熊本YWCAコーラスグループの美しい天使の声が、50周年記念式典にすばらしい花を添えてくださいました。
 第三部の“食事会”では、「50周年という節目を一緒に」とお祝いに駆けつけてくださった福岡YWCAの総幹事野崎千代さん、江副史子さん、そして長崎YWCAからは地元での行事を振ってまでも参加いただいた熊江雅子会長から、九州の仲間として祝って頂けたことはとても嬉しいことでした。また、創立よりの会員で東京在住の住和子さん、「GATE」の時大変お世話をいただいた和田緑さん等の来賓方々とともに、お弁当と差し入れのケーキを楽しくいただきながら和やかな時を過ごしました。
この50周年のためにもう一人、この春神戸に移られた宮崎公子さんが、「祈りましょう・働きましょう」と書かれた美しいポスターを届けてくださいました。私たち熊本YWCAは1964年11月創立で、その時からボランティアだけでがんばって参りました。この宮崎さんの言葉は私たちの今までの活動を示しており、これからもこの言葉のように活動していきたいと願っています。
午後2時からは姜尚中先生による記念講演会-「ミナマタ」「フクシマ」そしていのち- が会場をほとんど満席にして行われました。先生の講演は、先生の体型同様にスマートでYWCAのやっていること、これからも続けていきたいこと「一人一人が今起こっていることに関心を持つ」「時代の不寝番をする」ことの大切さを語られました。
これらの企画にあたりまして、多くの団体・個人の方々からご寄附をはじめ励ましのお言葉、ボランティアなどの多大なるご支援をいただきました。全てのことは、この常に変わらぬ皆様のお支えのお蔭であることを覚え、心より感謝申し上げます。
(礼拝の奨励と講演内容は後に発行される50周年記念誌にてお伝えいたします)


☆世界YMCA/YWCA合同祈祷会 11月16日 13:00~ 於中央YMCA
祈祷週(11/10~16)テーマ:神の求める「変革」となる Be the Change
礼拝・祈祷会:奨励 荒川純太郎氏(「共生庵」-農・自然・ひと-地球市民共育塾共同主宰
日本基督教団甲山教会牧師・開発教育ファシリテーター、大学非常勤講師
テーマ“『変革』にもとめられることは”    多くの方のご参加を!
☆熊本YWCAクリスマス会ご案内 12月6日(金)18:30~ @ルーテル熊本教会

10月聖書の学び 
 十戒より      熊本改革派教会 宮崎牧師指導
第10戒「隣人の家をむさぼってはならない。」
「隣の芝生は青い」といいます。古今洋の東西を問わず、私たちはいつも人と比べて一喜一憂しています。もっと財産があったならとか容姿が美しかったらとか才長けていたならとか、又は運がよかったならとか。あるアスリートの言葉が思い出されます。「失ったものを数えるのではなく与えられたものを数えるのです」本当に心打たれる言葉でした。目が覚める思いがしました。彼女は病で足を失いそれでも義足でパラリンピックの勝者となったのです。
十戒で禁じられていること、それはすべて私達自身の身分に満足せずに隣人の幸せを嫉んだり恨んだりすること、又すべて隣人の所有するどのようなものにでも法外な意向や愛着を寄せること等です。つまり神様が下さった以上のものを欲しがって獲得しようとするエネルギーを費やしてはいけないということです。
使徒パウロの場合はどうでしょう。彼は自分自身の状態には満足していましたが、すべてのことに満足していたのではありません。悲しみの心でいっぱいでした。そう、私たちの周りには闇がいくつもあります。あまりの深刻さゆえに目をそらしたままだったり、遠くのこととして他人事だったりしています。「私は私を強くしてくださるかたによって、どんなこともできるのです」と、彼は心の怒りを祈りと宣教の力へと変えて行きました。闇の中の光となったのです。
十の戒めは遠い昔のことではなく今も私たちの生活に広く深く問いかけているのです。(石田記)

熊本YWCA創立50周年記念行事に参加して
 森田惠子
日ごろの活動になかなか参加できない私ですが、50周年を祝うこの日を熊本YWCAの仲間の皆さんと共に過ごしたいと水俣から参加しました。
記念礼拝で日本YWCA代表理事石井摩耶子氏から語られた奨励は「流れに抗う(あらがう)」と題されるものでした。つまりそれは、60年以上にわたって侵略戦争に加担することを防いできた平和憲法の事実上の変更やTPPを通したグローバル企業による経済の蹂躙、そして3.11の原発事故の被害者を顧みることなく原発再開稼働を進めるなど、創立以来各地のYWCAが求めてきたことと反対の流れを現在の政府が強める中で、平和と女性や子どもたちのエンパワーメントを求めるYWCAとしての自覚をもってその流れに抗し続けようと訴えかけるものでした。
そして、熊本市ハーモニーセンターで開かれた記念講演会。熊本出身の姜尚中氏は、中流生活者が消え社会が分裂し不安定化していく現在の厳しい状況の中で、それぞれの人々が地域の中で生活しながらも自分たちが今どんな時代に生きているのかについて関心をもち、熊本では水俣から福島のこと、そしてエネルギーのこと地域のあり方に関心を向け続けなければならない。そしてそのためには人と人とのつながりをつくる出会いの場である「ひょっこりひょうたん島」が地域社会の中に必要でありYWCAはその一つになってほしい、と呼びかけました。
見事につながったお二人お話のとおり、私たちはこれから厳しい時代を迎えることになるかもしれません。でも今に責任をもつ私たちは、ルカによる福音書第21章34-36にあるように「いつも目を覚まして祈り」次代の人々によりよい社会を渡していけるようそれぞれの生活の地でYWCAと共に抗っていきたいと思うものです。




ネイバーズ活動報告 10月 ―外国文化を学ぶ2 ベトナムを知ろう―
 ベトナムから来たフン・ティ・グエトと申します。現在、熊本大学大学院の社会文化科学研究科で勉強しています。
 あっという間に、来日してから3年が経ちました。私が日本に来た目的は日本語と日本文化についての研究を行い、日本で学んできた知識をベトナムの学生たちに伝えることです。それだけでなく、せっかく日本に来たからこそ、日本の方々にベトナムのことについて理解してもらえるよう、ベトナムのことを紹介することも私の目的です。
 幸いに、10月8日にYWCAで行われるネイバーズというイベントに参加するチャンスをいただきました。このイベントは、料理の作り方を紹介し、ベトナムのことについて話すという内容です。初めてこのようなイベントに参加するので、大変緊張しました。しかし、いいチャンスと思って、料理にはあまり自信がなかったのですが、喜んで参加することにしました。紹介する料理はいろいろ考えた末、フォーと生春巻きと「ちぇー」というベトナムぜんざいにしました。参加される方々が熱心に手伝って下さったので、緊張を乗り越えて自然に説明できました。当日の時間は限られていましたが、ベトナムについての話も出来ました。
 日本語も料理も得意ではないですが、ベトナム人が誇りに思うことを日本で伝えることができて、非常に嬉しかったです。日本での生活は時々困難に直面していますが、日本人のおもてなしや温かい気持ちのおかげで、今の生活に本当に満足しています。二カ国の友好関係のため、わずかな貢献かもしれないですが、日本のことをよく調べながら、ベトナムのことをもっと紹介したいと思っています。


再会                      小脇智恵
 出会いは22年前(1991年)のチェコでした。当時私たち家族はワルシャワに1年間の滞在中で、初夏に家族旅行を計画しました。私たちが泊まった宿は、ポーランド人が利用するツーリストで予約した、プラハ郊外のペンション。自由化が進み始めた頃で、地元のサッカー仲間がそのクラブハウスを改装し資金を得ようと開業したばかりのところでした。ここでの夕食はサッカー仲間や地元の人も一緒!そこで、たまたま知り合った近所に住む幼稚園の園長先生が、私たち一家を自宅に招待して下さったのです。チェコの自由化前やその後の変化、これからの夢など、向こうの子どもさん達も交えて楽しいひとときを過ごしました。帰国後も、毎年クリスマスカードを交換していたのですが、10年程前に引っ越され、しばらくしてから途絶えてしまいました。
 今年の春先、夫の仕事に付いてプラハへ行くことになりました。夫が仕事を終えた夕方、彼女の最後の住所を訪ねて行ってみようか・・・ということになり、タクシーで向かいました。その住所は戸建ての住宅ではなく、アパート!横に回ってみると、厳重なセキュリティーのためのインターホンがあり、それを通じて次々に出入りする人が・・・そのうちのひとりにくっ付いて入ることができました。と、その一画に幼稚園があったのです。彼女のことを聞こうとしたのですが、英語を話せる人がいなくて、お手上げ状態!タクシーの運転手さんに助けてもらって、なんとか昔、そういう人がいたらしいということまでは分かったのですが、直接知る人は誰もいません。もうこれ以上は分からないだろう、あきらめようか・・・とした時、職員の方が「幼稚園の家主さんは英語がよくできるから」と電話をかけてくれました。なんと、その家主さんが彼女のことをよく知っていました。別の幼稚園で今も働いていること、そしてまだ、勤務中だから電話をしておいてやると。聞いた住所へは、再び運転手さんの出番です!
会えたのです!22年ぶりの興奮の再会!!彼女もよく覚えていてくれて、既に独立した子どもさん達とも電話で話すことが出来ました。次の予定があったので、ゆっくりすることは出来なかったのですが、次回は家に招待するとの約束を交わしました。もう一度、プラハに行けそうです❤
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